ウィズコロナの真ん中で愛を叫ぶ

コロナ以前は新宿の貸会議室で
開催していたワークショップを
5月からオンラインに切り替えています。

みなさん仕事や日常生活の中でも
ストレスを抱えながらの毎日です。

そこで前回のワークショップでは、
意識の背後にある恐れに焦点をあててみました。

以下にその内容を簡単にご紹介します。

ウィズコロナの真ん中で愛を叫ぶ

ウィズコロナの時代になり、
“恐れ”が蔓延しています。

身近な人と会って楽しむ人も
いつもと変わらないテンションの人も
誰にも会わずにいようとする人も
なんとなく鬱っぽくなっている人も、

その背後には“恐れ”があります。

その恐れは筆者がライフワークにしている
性格研究の分野では
「根源的恐れ」と呼ばれています。

根源的恐れとは、
「生きていけないのではないか」
という恐れです。

「コロナに感染したら死ぬのではないか」

「コロナでは死ななくても、感染したら
差別を受けるのではないか」

「社会的に孤立してしまうのではないか」
「コロナで経済的に厳しい状況になり、
仕事がなくなるのではないか。
この先、経済的に成り立たなくなるのでは
ないか」

感染死を恐れるということだけでなく
社会的に抹殺されるのではないか、
社会との接点を失い、つながりが断たれる
のではないかといった恐れもあります。

わたしたちはこれまで、コロナ以前は、
社会とのつながりや周りの人とのつながりを
ごく普通に、当たり前のように感じていました。

けれども、密を避け、自粛を余儀なくされるなかで、
人が集まる場所には出向くにも勇気がいります。
人と普通に接するということが難しいという状況は
この世界や社会とのつながりが断たれた感じでは
ありませんか?


”恐れ”の9つの側面

1)つながりが断たれ、孤立するということは、
わたしたちのなかの根源的恐れの一つです。

これが恐れの一つで、そのほかにまだ8つの
恐れがあります。

そして、恐れは実際つながりを断ち切ります。
いまの日本の状況は、都道府県の間にも
分断を生んでいます。

現在のような状況に何か怒りのような
ものを感じている方はいませんか?

「理不尽だ、理不尽だ」

「こんな世の中になってしまうなんて、
一体、自分が何をしたっていうのだ。
神も仏もないのか!」といった理不尽な怒り。

このような怒りを感じる人は、おそらく
これまで真面目に仕事をし、やるべきことは
責任感を持ってやってきた人なのでしょう。
「何も悪いことをしていないのに、
どうしてこんなことになるんだ」と。

しかし、「神は善人の上にも、悪人の上にも
太陽を昇らせる」わけで、それ自体を
理不尽と感じる人もいるでしょう。

2)そして、こういった怒りの背景にある恐れは、
物事の秩序が失われ、自分自身も含めて
コントロールできなくなるのではないかという
コントロールを失うことへの恐れです。

また、別の恐れがあります。

3)自分がこの世界のなかで必要とされなくなる
のではないかという恐れです。
こういった恐れが強いと、人は自分から
必要とされる人になろうとします。
自分が必要とされる場所なら、コロナ感染の
危険があってもそこで働こうとする人も
いるかもしれません。

自分が無価値な人間に思えてくる

ウィズコロナの時代に浮上した恐れは、
これまで野心的に、バリバリ働いてきた男性に
大きなダメージを与えていることがあるようです。

ある中間管理職の男性は、抑うつ的なのか
どうかはわからないが、胸がふさがっているというか、
胸が詰まっている感覚があると言っていました。
そこには同時に、不安もあるということでした。

社会的にある程度の地位にあり、報酬も得て、
さらに上を目指して働いてきたという男性。
自分の価値は仕事での成功に映し出されている、
といった考えの男性はたくさんいます。
価値のある人間でありたい、そして
価値ある人間であるためには、
有能に機能していなければならない。
しかも、そのことが会社や世の中の人びとから
認められていなければならない。

しかし、コロナ禍で先行きの見通しは立たず、
会社や業界時代がダメになるかもしれない。

4)自分が価値のない人間に思えるということは
どれほど恐ろしいことでしょうか。

5)また、先行きの見通しが立たない現実のなかで、
人生の虚しさを感じ、生きていることの意味が
わからなくなっている人がいるかもしれません。
自分の人生は無意味なものだったのではないか、
という恐れもあります。

自分が無知無能に感じられる

6)また、自分が無知無能に感じられるのも
恐ろしいことです。

筆者はまさに、この数か月間の間、
自分の頭の中がすっきりと機能していない
ような感じにとらわれ、
この無知無能であることへの恐れというものを
強く感じました。

テレワークが推奨され、
オンラインでの打ち合わせや会議、
イベントの開催も一般化してきました。

パソコン操作や通信機能がうまく使いこなせないと
生き残れないのではないかという恐れは
多くの方が感じてこられたのではないでしょうか。

ネットでコロナに関する情報を
検索することが辞められず、
そのことで膨大な時間を使ってしまっている
という方もいます。
情報を集め、知ろうとする行為が
ますます不安をあおるものに
なってしまっているわけです。

頼れるものが見つからず不安

頭の中で不安が渦巻くと
何かに頼りたいという気持ちになるでしょう。

しかし、いったい何に頼ればいいのか?
ウィズコロナの時代、
誰もが初めて経験することで
頼れるものがありません。

7)頼れるものがなければ、導きが見いだせない。
自分を守ってくれるものが何もない。

それは見捨てられるのではないかという
恐れにつながっています。

自由が奪われる

8)ウィズコロナ時代は何につけ、
不自由を感じますね。自由にならない。
自由を奪われるのではないか、
というのは大きな恐れです。

そして、わたしたちはじっさいに、
自由を奪われている感じがしているのでは
ないでしょうか。
少なくとも、今の私たちが置かれていう状況は
自由とは感じられないものですね。

中京テレビのストライクという番組で
「ズバッとココロジー」という心理テスト
コーナーがあるのですが、
そのコーナーの出題監修をしています。

先日の心理テストで、番組放送の事前に
スタッフの方たちも
やってみられたのだそうですが、
4つのアイテムのなかから、
最後まで手放したくないものを
選ぶという問題で、
「自由」を象徴する翼を選んだ人が
多かったというのが印象に残りました。
この問題で、以前はそれほどまでに
答えが偏るということはなかったからです。

コロナ自粛のなかで、多くの方が、
自由になりたい、
開放されたいと望んでいます。

9)そして、恐れの中でももっとも
直接的に恐れを表現するとすれば、
自分が傷つき死ぬのではないかという恐れ、
そして、フィジカルな死への恐れです。

恐れを克服するのは愛しかない

こういった恐れを和らげるものは
「愛」しかありません。

『愛には恐れがない。完全な愛は恐れを取り除く。』
ヨハネ第一の手紙第4章8節

「愛」というと、ロマンチックな愛、
センチメンタルな愛をイメージされることが多いですが、
それは愛の狭い定義です。

とくに男性は「愛」というと拒否反応を示す人が多いです。

愛の話なかじゃないんだ、と。

恥ずかしさもあるのかもしれません。
ただ、多い勘違いは愛を感情だと思っていることです。

愛は感情ですらない。

愛に似た感情は愛着です。
愛着は執着に代わり、時にフラストレーションを生み、
時に拒絶に代わります。

それは条件付きの愛と言ってもいいかもしれません。

〇〇だったら愛する……。

恋人同士:尽くしてくれたら・カッコよければ・ステキでいてくれたら
結婚相手:しっかり働いて稼いでくれたら・家事をやってくれたら
友人仲間:自分の味方でいてくれたら・一緒に楽しみを分かち合えたら

真の愛は無条件の愛です。

あなたがあなただから、愛する。
自分が自分だから、愛する。

そして、愛の出発点は自己愛です。

自己愛をナルシシズムやエゴイズムと
混同しないようにしたいです。
ナルシシズムは自己陶酔。自分しか見ていない。
エゴイズムは自我の囚われに入っている状態。

自分が自分を受け入れていないと、
他人を受け入れることもできません。

自分を愛することと甘やかすことは違います。

自己愛を確かめる

自分を甘やかすことによって、
不摂生な生活をしてしまうことがあります。
自分を愛していれば、
そういうことはしません。

時々、自分に問うてみたいものです。

「あなたがやっていることは、
それは本当にあなた自身のために
なっていますか?」

「それはほんとうに
自分のためになっていますか?」

自分自身を慈しみましょう。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
マタイによる福音書第22章39節

これは自分を愛せなければ、
他者をも愛することはできないと
いうことですね。

恐れを克服するために必要なもの
それが愛。

広い意味で愛をとらえましょう。

では、ウィズコロナの真ん中で
どうすれば自分のなかにある
「愛」をみつけることができるのでしょうか?

それはリラックスすることです。

誰でもがやれること、
なのに、やれていないことが多い、
「リラックス」です。

恐れには「緊張」がともないます。
恐れがあると、身体的に緊張しています。

身体的な緊張を緩め、リラックスできれば、
愛を呼び覚ますことが可能になります。

『私が愛の旅で学んだのは、
私のからだをリラックスさせることでした。』
(ザルツマン夫人)

あなた自身の内に呼び覚まされた愛は
次のような兆候から読み取れます。

1)自分や周りの人を責め、
批判することがなくなる。

2)人にいい顔をしようとしたり、
人に媚びなくなる。
人にしてやっている意識がなくなる。

3)何もしていない自分を受けいれられる。
(肩書や社会的な成功度など
ステイタスのあるもので身を
包まなくても素の自分で
いられるようになる)

4)自分だけが特別と思わなくなる。
この世界に失望しなくなる。

5)人と関わることを避けたり、
ひきこもらなくなる。
愛についてシニカルな考え方をしなくなる。

6)頭の中で堂々巡りするような
考えにとらわれなくなる。
他人を試すようなことをしなくなる。

7)興奮を求めなくても人生を楽しめる。

8)自分が傷つくことを恐れなくなる。
強がらなくなる。

9)自分をないがしろにしなくなる。
怠惰に身を任せることがなくなる。

愛を浮上させ、
愛を実行していきたいものです。

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ABOUTこの記事をかいた人

徳島県生まれ。関西学院大学大学院修士課程修了(哲学専攻)。フリーライター、PR会社勤務を経て、単行本執筆を期に執筆活動に専念。1995年、本書のテーマであるエニアグラムと出会い、ライフワークとしての性格研究に取り組む。2000年より、毎月欠かさずエニアグラムのワークショップ、セミナー等を開催。参加者にとって信頼できる場を提供するため、スモールグループでの分かち合いを大切にし、今日まで継続している。2004年、永岡書店より出版の『ココロの本音がよくわかる魔法の心理テスト』がベストセラーに。心理テストブームを巻き起こした。テレビ・ラジオ等への出演・心理テスト監修も多数。『ドキッとするほどホンネがわかる心理テスト』(池田書店)『面白過ぎて時間を忘れる心理テスト』『楽しすぎて止まらない心理テスト』(三笠書房)など、心理テストに関する著書は累計120万部を突破。また、エニアグラムをベースにした性格診断・自己分析ツールは、商品キャンペーン、イベント、人材マッチングその他、Web集客等にも有効なツールとして、一般企業、放送局、イベント会社等幅広いジャンルに応用できるため、大手企業等からのコンテンツ制作の依頼も多い。 20代後半からジム通いを続け、40代で易占を学び、占いスクールで周易入門の講座を持つ。50代からヨーガを始め、全米ヨガアライアンス200を取得。コロナ後は渋谷から出身地の徳島県阿南市に居を移し、リモートワークとオンライン講座を中心に活動している。現在は、地元のフィットネスクラブで、趣味の有酸素運動と筋力トレーニングを行いながら、マインドフルネス・コンパッション・ヨガを実践。ロードバイクが趣味。